苦手な人が気になる時…著書「嫌われる勇気」より

苦手な人が気になる時…著書「嫌われる勇気・」より

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いらっしゃいませ。「お悩み相談喫茶」へようこそ☕️カウンセラーみかりんです。

苦手な人、いますか?

著書「嫌われる勇気〜アドラー心理学〜」から解説していきます!

わたしのお気に入りの場所です 〜掬水亭(天外天)

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩み」とアドラーは言います。

自分を嫌う「メリット」!?

著書「嫌われる勇気」はアルフレッド・アドラーの思想(アドラー心理学)を青年哲人対話という物語形式でまとめてあるめちゃくちゃおすすめの1冊です。そこから引用していきますね。

私たちはどうして自分を嫌ってしまうんでしょうね? それには訳があるみたいです。そう、自分を嫌うメリットがあるのです。

悩みの出来事は「こうされた」と考えるより「自分にとってメリットがあるからこうさせた」と考えてみると解決したりします。「嫌われる勇気」の中で悩みの問題を「自分にとっての善」と表現されてます。

青年「わたしは自分のことが嫌いだと認めます。短所しか見当たらず、好きになる理由が思いつかない。先生はなんでも「目的」で説明しようとされますが、いったいなんの目的があって自分を嫌っているのです?」

哲人なるほど。自分に長所などないと感じている。事実がどうであれそう感じている。要するに自己評価が著しく低いわけです。問題はなぜそれほど低く見積もっているのかです。」

青年「わたしに長所がないからですよ」

哲人違います。自分を好きにならないでおこうと決心しているからです。長所を見ないで短所だけ注目している。自分を好きにならないことが、あなたにとってなのです。」

青年「この性格ですよ。自信が持てず、悲観的になっている。それに自意識過剰なのでしょう、他者の視線が気になって、いつも他者を疑いながら生きてます。自然に振る舞うことが出来ず、どこか芝居じみた言動になってしまう、まぁこんなひねくれた男となんて誰もつきあいたくないでしょう。わたしだって身近にこんな卑屈でめんどくさい男がいたら御免こうむります」

哲人「こんなひねくれた男となんて誰も付き合いたくないだろうと?それはあなたが他者から嫌われ、傷つくことを過剰に恐れているからなのです。他者から否定されることを恐れている。誰かから小馬鹿にされ、拒絶され、心に深い傷を負うことを恐れている。そんな事なら最初から誰とも関わりを持たない方がましだと思っている。つまり、あなたの目的は他者との関係の中で傷つかないことなのです。」

青年「………。」

哲人ではどうやってその目的をかなえるのか?答えは簡単です。自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さなければいいのです。自分の殻に閉じこもれば、誰とも関わらずにすむし、仮に他者から拒絶された時の理由づけにもなるでしょう。わたしは短所があるから拒絶されるのだ、これさえなければわたしも愛されるのだと可能性の中に生きることができる。短所だらけの自分でいることは、あなたにとってかけがえのない善、ためになることなのです。

青年「ええい!このサディストめ!確かにそうですよ!わたしは怖い、傷つきたくない。」

哲人「認めることは立派な態度です。対人関係の中で傷つかないなど基本的にありえません。悩みを消し去るには、宇宙の中でただ一人で生きるしかない

「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健著

悩みはすべて対人関係

対人関係で傷つかないためには宇宙でたった一人で生きるしかない、なんて言われた青年ですが

孤独を感じるにも他者が必要。一人だから孤独なのではなく、自分を取り巻く他者があり、そこから疎外されていると実感するからこそ孤独なのだと。

疎外感って猛烈に孤独感を感じますよね…孤立感かな

「孤独感」の悩みも比較する他者というものがあっての

「対人関係の悩み」ということになりますね ふむふむ。。。

回避するため、人の欠点を見つける!?

競争することなく理想の自分に向かって前に進むことは、競争ではないのですね。

競争や勝ち負けを意識すると生まれてくるのが…劣等感。これが自己否定に繋がるのだと。

「劣等感」と「優越感」はシーソーのように上がったり下がったりするも、劣等感が強いと、優越感も意識していると言える。口に出さなくても「あの人には勝った」「負けた」と つい比較してしまう。穏やかでは居られないですね。

哲人「あなたにとっての他者とは、どんな存在になると思いますか?」

青年「さあ、ライバルですか?」

哲人「いえ、単なるライバルではありません。他者全般のこと、世界のことを敵だと見なすようになるのです。すなわち、人々はいつも自分を小馬鹿にしてせせら笑い、隙あらば攻撃し、陥れようとしてくる油断ならない敵なのだ、世界は恐ろしい場所などのだ、と。

青年「わたしには3歳上の兄がいます。勉強もスポーツも優れ、幼い頃からずっと比べられながら育ってきました。何をやっても勝てません。両親はわたしを認めようとしませんでした。子供扱いされ、否定され、劣等感にまみれながら生きてきたし、兄との競争を意識せざるを得なかったのです!」

哲人もしもあなたがお兄さんやその他の対人関係を競争の軸で考えなかった場合、人々はどんな存在になると思いますか?」

青年「まぁ兄は兄ですし、他人は他人でしょう」

哲人「いえ、もっと積極的な仲間になっていくはずです。あなたは先ほど言いましたね?幸せそうにしている他者を心から祝福することができないと。それは対人関係を競争で考え、他者の幸福をわたしの負けであるように捉えているから祝福できないのです。しかし競争から解放されれば、勝つ必要がなくなります。負ける恐怖からも解放されます。わたしの仲間なのだと実感できていれば世界は快適な場所に映ります。」

青年「わたしが他者を敵だと見なし仲間だと思えないのは、人生の課題から逃げているせいだと?」

哲人「例えば仮にAという人物を嫌っているとしましょう。なぜならAさんには許しがたい欠点があるからだ、と。」

青年「ふふふ、嫌いな人間でしたら、何人でも候補が浮かびますよ」

哲人「しかしそれはAさんの欠点が許せないから嫌っているのではありません。あなたにはAさんを嫌いになるという目的が先にあって、欠点をあとから見つけ出しているのです」

青年「そんな馬鹿な!何の為に!?」

哲人Aさんとの対人関係を回避するためです

青年「どう考えたって順番が逆でしょうに。嫌なことをされたから、嫌いになった、でなければ嫌いになる理由がありません!」

哲人「関係を終わらせるための材料を探し回っているからそう感じるのです。相手はなにも変わってません。自分の目的が変わっただけなのです。人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでも見つけ出すことができる、例え相手が聖人君子のような人であったとしても嫌うべき理由など簡単に発見できます。あらゆる他者を敵とみなすことも可能なのです。

青年「対人関係を回避するため、それだけのために他者を敵と思うことで逃げているのだと?」

哲人勇気の問題です!

「嫌われる勇気」 岸見一郎 古賀史健著

嫌われることで傷つかないため、対人関係を避けるため、その理由が必要だから、

嫌いな相手の欠点を探してしまうってこと…? ひゃ〜

そして必要なのは…勇気なのか〜💦

「みんな仲間」と思う勇気

他者と関わる勇気が持てない理由とは、「ありのままの自分での対人関係」に自信がないからだと言います。

でも誰でも部屋に一人でいる時は、大声で歌ったり踊ったり威勢のいい声を出したり自由に振る舞える。ってことは、本当の自分は自由で無邪気で大胆。人前でだけ、本当のおいしい自分を出すことに許可ができないのですね。

では自己受容するためにどうしたらよいのか?

それは「共同体感覚」を持つことだそうです。簡単にいうと「他者はみな仲間なんだ!」という感覚ですね。

「他者はみんな仲間だ」と思えるには「自己受容」が大事。自己受容とは、「自分の与えられたものを認め、それらをどう使うか」なのですね。

そして「自己肯定」「自己受容」の違いをこういってます。自己肯定とは「私は強い、私はできる」など自分に暗示をかけること、一方「自己受容」とは「できない自分」をありのまま認めること。60点の自分に「今回はたまたま運が悪かっただけで、本当の自分は100点なんだ」と言い張るのではなく、自己受容はそのままを受け止め、どうすれば100点に近づくか考えるだけだと言います。

そして著書の最後に、キリスト教社会で古くから口承されてきた「ニーバの祈り」が載っていました。なんだかグッときます。

    ニーバの祈り

「神よ 願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと

変えることのできる物事を変える勇気と

その違いを常に見分ける叡智を私にお与えください」

と、言うことで今日もご来店ありがとうございました。

私たちの未来は、たくさんの導きと共にあります。

店主のカウンセラーみかりんでした。またね♡

音声ラジオ「おしゃべり喫茶」では、こちらの記事を音声で聴くことができます♪ ↓

この記事を書いた人

カウンセラーみかりん